2009年4月2日木曜日

Berman (ed.) 1990


クリーヴランド美術館は75周年記念に当たる1991年のために「アメンヘテプ3世展」を企画しました。この展覧会はアメリカとフランスを巡回し、大成功を収めましたが、その準備のために開催された国際シンポジウムの記録。研究会といった性格を持ちます。
この企画の発案者はクリーヴランド美術館の学芸員A. P. コズロフで、彼女は滋賀県にあるMiho Museumの収蔵品カタログの解説も書いたりしていますので、日本においても知られている研究者。
シンポジウムはコズロフとB. M. ブライアンが手配し、その後に"Amenhotep III, Lord of a Perfect World"という名の展覧会が開かれるはずでした。

Lawrence Michael Berman (ed.),
The Art of Amenhotep III:
Art Historical Analysis.
Papers Presented at the International Symposium Held at
The Cleveland Museum of Art, Cleveland, Ohio, 20-21 November 1987.
(The Cleveland Museum of Art, Cleveland, 1990)
xii, 92 p., 27 pls.

この論文集で一番長い原稿を寄せているのはR. ジョンソンで、彼は壁画や碑文を模写して記録にとどめる作業を行う専門家です。ルクソールにおいて長くこの作業に携わっている中で、アメンヘテプ3世の図像を、様式的に3つに分けられる点に気づきました。アメンヘテプ3世の治世は40年弱であって、これは紀元前約1300年前の話です。今から3300年前に描かれた壁画を見て、そこに3つの年代差を見分けることができるという、まったく新しい話をこのシンポジウムで発表しました。またこの話が、以前から決着がずっとつかないでいたアメンヘテプ3世とアクエンアテンとの共同統治の問題と深く関わったものですから、一躍、注目を浴びることになります。
この影響か、展覧会の題も当初の計画から"Egypt's Dazzling Sun: Amenhotep III and His World"へと変更されました。"Dazzling Sun"は、ジョンソンの論文に出てくる言葉です。

ジョンソンの論考に対する意見をJ. F. ロマーノがすぐその後のページに書いており、このふたつは比較して読む必要があります。

W. Raymond Johnson,
"Images of Amenhotep III in Thebes:
Styles and Intentions",
pp. 26-46.

James F. Romano,
"A Second Look at 'Images of Amenhotep III in Thebes:
Styles and Intentions' by W. Raymond Johnson",
pp. 47-54.

ジョンソンが根拠としたのは眼や鼻、また唇のかたちの違いで、美術史学的なこの鑑識の結果が考古学者には実感が伴わず、共有されないことが明瞭にされており、興味深い。
ベス神の像を扱って1000ページ以上の分量の博士論文を著しているロマーノは、こうした断絶の様態を良く知るひとりで、

"Archaeologists and art historians are trained to separate their subjects, be they artistic styles, cultures, etc., into groups." (p. 53)

とさえ言っています。
最後のまとめの言葉を記しているW. K. シンプソンも、

"Egypt communicates to us in two principal ways. The first is text --- in written language, artfully structured, always with a purpose but not always a comprehensive intent. (.......) The second means of communication is two- and three- dimensional communication, which is more subtle." (pp. 81-82)

というように、表現の引き裂かれた空隙を問いかけています。
エジプト学において何が「真」なのかが定まっていない点が露呈され、薄いけれども注目される書です。

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