2009年5月27日水曜日

Cerny 1973


チェルニーの主著。
デル・エル=メディーナ(Deir el-Medina: もしくはディール・アル=マディーナ)が、王家の谷で働いていた者たちの村であるということをいち早く類推した研究者でした。新王国時代のヒエラティックを精力的に読んだ人の本です。カイロ博物館収蔵の土器片・石灰岩片に記された文字資料(「オストラコン」;複数形は「オストラカ」)やデル・エル=メディーナから出土した文字資料、あるいはテーベの懸崖に残る読みにくい多数の落書きなどを、何冊もの報告書にまとめた偉人。ツタンカーメンの墓から見つかったヒエラティックを解読した報告書も書いています。
この人の教えを受けたのがJ. J. Janssenで、彼はその後、オランダのレイデンにデル・エル=メディーナに関する一大研究拠点を作り上げました。

デル・エル=メディーナ研究の難しいところは、刊行された資料を用いるだけでは埒があかないことです。未刊行資料にも目を通さないと話が進みません。
10数年ほど前にクメール研究に携わるようになった時、連想したのは、デル・エル=メディーナ研究と似た状況だなということでした。クメール研究においても、パリに本拠を置くEFEO(フランス極東学院)所蔵の未刊行資料に当たらないと、非常な不自由を感じることになります。資料が一握りの人間たちだけに知られている状態にあるという好例。

Jaroslav Cerny,
A Community of Workmen at Thebes in the Ramesside Period.
Bibliotheque d'Etude (BdE) 50; IF 453
(Institut Francais d'Archeologie Orientale, Le Caire, 1973)
iv, 383 p.

レプリントも出版されました。
王家の谷が当時、何と呼ばれていたか(「セト・マァト」、『真実の場所』というほどの意味)の説明に始まり、労働者集団の名、階層と各肩書き、班構成の考察、掘削された石の量の単位、その他、岩窟墓の造営に関する基本的な問題がここでは展開されています。デル・エル=メディーナ研究における必携の書。
これには続巻というべきものがあって、彼の遺した断片的な情報が薄い本となって纏められています。

Jaroslav Cerny,
The Valley of the Kings (Fragments d'un manuscrit inarcheve).
Bibliotheque d'Etude (BdE) 61; IF 455
(Institut Francais d'Archeologie Orientale, Le Caire, 1973)
vi, 55 p.

また、上記2冊の本に書かれている内容の要約に類する文章が、The Cambridge Ancient History (CAH)のどこかの巻に短く掲載されているはずですので、興味のある方は最初、これに目を通すと良いかもしれない。

チェルニーはまた、グロールと共著で新エジプト語の文法書を書いており、まず中エジプト語の学習を終えた者はこれに進むことになります。

Jaroslav Cerny and Sarah Israelit Groll
assisted by Christopher Eyre,
A Late Egyptian Grammar.
Studia Pohl: Series Maior, Dissertations Scientificae de Rebus Orientis Antiqui 4.
(Biblical Institute Press, Rome, 1984, 3rd updated ed.
First published in 1973)
lxxxiv, 620 p.

アシストしている人間がクリストファー・エアである点に注意。Powell編の本で新王国時代の労働について書いている研究者です。
この書、本文をなす620ページの文法解説の前に、84ページにもわたる前置きが付きます。ちょっとない。
グロールも2007年末、81歳で亡くなってしまいました。

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