2009年11月16日月曜日

Meskell 2002


古代エジプト人の生活を追った本というのは、もう何冊もあるけれども、エジプト学におけるイギリスの重鎮、J. ベインズのもとに居ただけのことはあって、文字資料としてはっきり残されていない生活の像、それをどのように把握するのかということ自体が大きなテーマのひとつとなっています。こういうテーマはとても珍しい。
図版はだから、モノクロで60枚ほどしかありません。エジプト学の中で、さまざまな情報がどのように組み立てられ、解釈されているのかを念入りに見直す作業がおこなわれています。意図的に難しい話題が選択されていると考えられます。分かりやすい題名とは相反し、この分野の専門家に向けて反駁している本と言っていい。

Lynn Meskell,
Private Life in New Kingdom Egypt
(Princeton University Press, Princeton, 2002)
xvii, 238 p.

冒頭には人類学者のマリノウスキーや、哲学者フーコーの著作からの引用が並んでいます。Hitchcock 2000のミノア建築に関する本でも、ミシェル・フーコーの「知の考古学」が引用されていました。こうしたところは注意しておきたい点です。
第1章の題は"The Interpretative Framework"で、private life,「私生活」とはそもそも一体何かということから話が始まります。特に、古代エジプトにおける私生活、ということが再度問われており、ここからも、たいへん意欲的な内容であることが了解されます。
だから、例えばストロウハルの本、これは和訳が出ていますが、

エヴジェン・ストロウハル著、内田杉彦
「図説 古代エジプト生活誌(上・下巻)」、原書房、1996年

と、ある意味で対極的な位置にある本といって良い。
中心となるのはやはりデル・エル=メディーナで、オストラカに記されていることが資料として、しばしば引用されているのが特徴。

いわゆる「寝室」というものがこの村落の家々の奥にはあるんだけれども、その部屋にベッドが置かれていた痕跡は一切見つかっておらず、逆に外の通りからベッドが出土している点がとても奇妙。寝るためだけの部屋ではなく、もっと別の機能もあったらしいと言われている点が改めて指摘されています。

この建築遺構、細い路地からすぐ入った第一の部屋からは、動物の糞や藁くずが家の中から発見されているので、動物と一緒に暮らしていたことは明らかであるとみなされています。床が一段低くなっているこの部屋にはまた、「造り付け寝台」のようなものがあることも知られていますが、人が寝るためのものではなく、むしろ宗教に関わることがおこなわれたのではないかと考えられています。これは考古遺物からの判断。
出産用のベッドではないかという説については、この時代の出産ではむしろ椅子を使っていると思われる絵画資料があるので退けられるものの、女性のためのしつらいが目立つ点は強調されています。
こうしたことはすでに分かっていた事項なんですが、著者はさらに一歩進め、第一の部屋は女性のためのもの、またそのすぐ奥の第二の狭苦しい部屋は、男性のためのものではないかと推定しています。

この家の男たちは、いくらか離れたところにある王墓の造営に関わった石工・彫工、また画工であったので、毎日家には帰ってこなかったと考えられてきました。どうも王家の谷へ行く途中の仮小屋に寝泊まりし、10日に1日か2日しか帰らなかったらしい。本来の住居の内部は、女性たちの手によって勝手に都合良くしつらえられたようです。
3200年前の昔から、何とかは「元気で留守がいい」と考えられていたことが、ここからも容易に推察されます。やれやれです。

工人たちが構成していた労働者集団の動向については、また別の研究分野となりますので、この本では触れられていません。
建築の分野では、しかしこういう分け隔てることをしないことが重要。
彼女は後に、雑誌JMAにも2004年に論文を寄せています。Ä&L 17 (2007)を参照。

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