2013年5月3日金曜日

濱口 1919


この本も近代の和歌浦を見る上で面白い冊子。やはり国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で読むことができます。
巻頭には折込で地図が挿入されており、表面も裏面も藍色と赤色の2色刷です。地図はこの頃すでに開通していた路面電車の路線図を兼ねており、路線と停留所、及び名所の地点が赤色で示されています。
目次を以下に書き写しましたが、旧字は改めました。ノンブルは38まで認められますけれど、実際はノンブルのない10ページ以上の広告がさらに追加されています。

濱口彌浜口弥 はまぐちわたる
「名所案内 新和歌浦と和歌浦(和歌浦と新和歌浦)」
枇榔助彌生堂、大正8(1919)年

参照:国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/961926

目次:
折込地図 表 和歌浦新和歌浦略図
同 裏 和歌山市街略図

和歌山城(写真) 2
和歌山より和歌浦口 3
高松根上り松(写真) 4
愛宕権現及貌口石 5
弥勒寺及亀遊石 5
新和歌浦全景(写真) 6
秋葉山と鶴立島 7
和歌浦口より新和歌浦 7
和歌浦汽船乗場(写真) 8
鷹の巣(写真) 10
新和歌浦の景趣 11
天神磯(写真) 12
望海楼 13
新和歌浦の怒涛(写真) 14
米栄別荘、支店 15
大島中の島双子島(写真) 16
仙集館 17
新和歌浦の勝地 17
東照権現(写真) 18
鷹之巣 19
玉津島神社(写真) 20
新和歌浦より和歌浦 21
東照権現 21
下り松(写真)
和歌浦口より和歌浦へ 23
あしべや及妹背別荘 23
不老橋と塩釜神社 24
不老橋より三断橋、妹背、旭橋を望む(写真) 26
望海楼址碑 27
観海閣と多宝塔(写真) 28
妹背山、題目石、観海閣 29
紀三井寺全景 30
多宝塔と鶴駕飛降碑 31
和歌浦より紀三井寺へ 32
紀三井寺 32
附近の名所古蹟 33
和水電車線路 34
城東館 35
著名なる物産土産物 36

和歌山城からまずは新和歌浦へと進んで行き、そこから和歌浦に戻り、さらに紀三井寺へ至るという旅程を念頭に記されています。新和歌浦が先に触れられますが、しかし本当に書きたかったのはむしろ和歌浦であったらしく思われる内容。
塩崎 1893のところで述べた論考でもこの本については引用しており、それは国会図書館の近代デジタルライブラリーを通じて読んだのですけれども、その後に比較的安価で入手することができたので、薮清一郎による広告の部分と妹背別荘の写真を実見しようと思い、届いた本を開いてみたら、該当部分にその広告がありませんでした(!)。
ショック。

もともと薮清一郎による「あしべ屋」の広告、特に妹背別荘の存在を強調したページにはノンブルがなく、24〜25ページの間に差し挟まれた格好です。しかしこの欠損がただの落丁ではないことは、巻頭の地図に加工がなされている痕跡より推察することができ、近代デジタルライブラリーで見られる地図に記載のある「あしべ屋」、「望海楼」、「仙集館」といった旅館の名称が、当方の入手した版ではことごとく削除されています。代わりに「米栄(こめえい)」の支店と別荘の名はひと回り大きい赤い文字で印刷されていました。14〜15ページの間の、ノンブルのない広告も大幅に入れ替わっており、「望海楼」と「仙集館」に関する案内が削除されています。

国立国会図書館の近代デジタルライブラリーでは、表紙で「名所案内 和歌浦と新和歌浦」と印刷されているにも関わらず、一頁において「新和歌浦と和歌浦」という題で始められているせいか、「名所案内 新和歌浦と和歌浦」として公開されているという不思議なところがあります。そのため、近代デジタルライブラリーで「和歌浦」と「新和歌浦」の順番を入れ替えた「和歌浦と新和歌浦」を検索しても、該当するものが出てきません。
当方が所持するものの表紙の題名は「名所案内 新和歌浦と和歌浦」で、奥付は近代デジタルライブラリーにてうかがわれるものとまったく一緒です。また後表紙には「米栄別荘 米栄支店」の文字が。

従ってこの本については、「あしべ屋ヴァージョン」と「米栄ヴァージョン」とがあるということになるでしょう。でも、他にもヴァージョンがあるのではないか。その疑念は全部を見ないと拭えません。少なくとも国会図書館関西館と和歌山県立図書館が所蔵している模様。
しかし「あしべ屋」と「米栄」とが組んで2種類の本を作ったのであって、他の版はないのではと考えることもできそうです。というのは、「和歌の浦名勝拾貳景」という同じ題名を有する一枚ものの刷り物で、「あしべ屋」と「米栄」は内容の異なる写真を並べたものを別々に出したりしているからです。このふたつの老舗の旅館は、共同して和歌浦の繁栄を模索したのではないでしょうか。

教訓としては、和歌浦に関する明治・大正時代の出版物にヴァリアントがあって、うかつに引用はできないということでしょうか。少なくとも、どこが所蔵している本なのかを明記する必要が出てくると思います。
こういう経験は初めてで、ナポレオンの「エジプト誌」、Description 1809-1818にいくつかのヴァリアントがあるとは聞いていましたけれど、明治時代の刊行物に見られるとは思い至りませんでした。この場合は「エジプト誌」のような彩色の有無ではなく、内容の変更も伴っているわけですから、慎重な検討が望まれます。文献の探索が一層面倒なことになるわけで、どこから手をつけたらいいのか、呆然としています。「紀伊和歌浦明細新地図」岡田 1909)も同様。

160ページ以上にわたって記述された2010年の和歌山県教育委員会和歌の浦学術調査報告書は重要。PDFを無償でダウンロードすることができます。示されている和歌の浦に関する詳しい年表は、特に参考になります。「和歌山市史」の改訂簡略版に相当。

3ページでは執筆の担当を明記しており、「第2章第1節地質を吉松敏隆、第2節植生を高須英樹、第3節生物を古賀庸憲、第4節地理的環境と考古資料を和歌山市教育委員会前田敬彦、第4章第3節(2)を菅原正明、第4章第3節 4. 第4節近現代を米田頼司、その他は県教育委員会が作成した案の監修を、古代を村瀬憲夫、中世を柏原卓、近世を藤本清二郎、米田頼司、庭園に関しては高瀬要一が行い、総括を水田義一会長が行うこととした」とあって、錚々たる執筆陣です。

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2013年12月6日追記:
その後、「あしべ屋ヴァージョン」や「米栄ヴァージョン」の他に、「望海楼ヴァージョン」も存在することを知りました。和歌浦の旅館の歴史を調べるに当たっては、こうした異本が数種類ある点を前提に研究を進めることが今後、求められるかと思われます。

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